願わなかったお伊勢参り
新しい年が始まり
初詣にも行かず
お正月らしいこともしないまま過ぎていた。
そんなタイミングで
お伊勢さんへ行く流れがやって来た。
「行こう」と決めたというより
気づいたら、そうなっていた。
禊の地
二見興玉神社へは行けなかったけれど
外宮、内宮をゆっくり巡れる参拝。
以前は冬至の頃に通っていたけれど
しばらく足が遠のいていた場所だった。
私は本来
自分で立てた予定ですら直前になると億劫になる。
当日の朝は起きられなかったり
子どもの頃から、楽しみなはずの行事ほど
「めんどくさい」と感じるタイプだった。
でも今回は違った。
出発の日まで、ずっとウキウキしていて
当日の朝も自然に目が覚めた。
身体のほうが
先に知っていたような感覚。
ひとりで行く旅は
誰にも合わせず
自分の呼吸にだけ合わせられる。
内宮。
宇治橋を渡り、五十鈴川の御手洗へ。
冷たい水に手を浸した瞬間
頭の中の音がすっと消えた。

瀧祭神へ向かい
本宮へは、あえて脇道を選ぶ。
人の少ないその道は
木々の間を抜ける光がやわらかく
木々が、静かに呼吸しているのがわかる場所。
ここに来ると
何かを「する」気がなくなる。
何度も深呼吸を繰り返すうちに
身体と心の境目が
少し曖昧になっていく。
外宮、内宮ともに
本宮では風が通り
荒御魂をお参りする頃には
音のない場所に立っていた。
願いごとは、浮かばなかった。
代わりにあったのは、
「ここに来られた」という事実だけ。

流れには、逆らわなくていい。
行くべきときには
ちゃんと道がひらく。
そう思えた参拝だった。
帰り道も、
家に戻ってからも
身体の奥が静かなままだった。
何かを受け取った、というより、
余計なものを
そっと置いてこられたような一日。



