そうしなくてもいい現実を選んだ
いつしか
わかってもらおうとするのをやめた。
何か大きな出来事があったわけではないけれど
気づけば
説明する言葉が少なくなっていた。
誤解されないように整えた言葉も
相手の反応を先回りする癖も
いつの間にか、使わなくなっていた。
関係を断ち切ったわけでも
強く決めたわけでもなくて
ただ、姿勢と距離が
少しずつ変わっていっただけ。
最初は口癖のように使っていた
「普通さぁ・・・やん?」
この「普通」って…何?
って思ったことがきっかけ。
私にとっての普通は
相手にとっての普通とは限らない。
そう感じたこと。
もっというと
がんばらないでもできること「強み」や
得意なことは千差万別。
たとえば
私にとって「普通」にできることを
羨ましがられたとしても
それについて言い訳が必要なのだろうかと
思った。
今までの私は
努力もしないでサラリとできてしまうように
見えているかもしれないが
これは根性と苦労で…といった類の
「言い訳」をしていたのだ。
自分をわかってほしい
誤解しないでほしい
そう願っていたのかもしれない。
でもそれは「言い訳」をした時点で
自分に嘘をついていることになる
とも思ったし
そもそも「言い訳をしなければいけない相手」
ということ。
言い訳をしなければいけない相手に
自分のことを理解してほしいのか
だし
その相手にどんなに言葉を尽くしても
ちゃんと伝わるのか疑問が残る。
平行線のような気がした。
ずっと自分に嘘をついて
「言い訳」を重ねなければいけない
永遠のループ…
そこから抜けたいと思った。
そうしなくてもいい現実を選んだ。
緻密な擦り合わせが必要ない感覚。
フィーリングだけでいい。
それが同じステージの人たちや
環境ということなんだろうと感じた。
いくつかのステージに分かれて
人は立っていると思っている。
私も含めステージ変えもあるだろう。
去っていく人、入ってくる人
自分自身が次のステージへ行くこともある。
その時々のステージで
たくさんの経験をし
次のステージへ移っていく。
その時同じステージに立っている人たちと
経験や感情を共有していく
それだけでいい。
無理に自分をよく見せなくても
卑下しなくてもいい関係性。
いつしかそれが心地よくなっていた。
わかってもらおうとしなくなったら
世界が狭くなったように見えるかもしれない。
実際、関係は減った。
深く話さなくなった人もいる。
同じ場所にいても
同じ感覚を共有できなくなった人もいる。
それでも
呼吸はずっと楽になった。
言葉を尽くさなくても通じること。
説明しなくても
そのままでいられること。
そういう関係や環境が
少しずつ残っていった。
わかってもらえなくてもいい。
それでも、ちゃんと届く場所はある。
いまは
そこに立っていたいと思っている。



